3日前に、18歳と7カ月、愛犬とのお別れの日を迎えました。
獣医師から安楽死の話をされたのは2か月前のことでした。
それから、愛犬の生活の質について考えて考えて考えて、本当に難しい決断でした。
当日、家族4人で病院に入ることができ、中の小部屋に通されました。愛犬は私に抱かれて安心したようすです。
病院についた時点で、もう私泣いてました。獣医師さんから、安楽死の説明がありました。同意書へのサインと支払いをここで済ませます。
そして、心の準備のための時間を設けてくれます。
飼い主がしっかり心の準備ができるまでは、処置には移りません。
そして、準備ができ、最初に睡眠と麻酔薬を投与されます。投与した後にまた、医師は部屋をでて家族で最後の時間をくれます。
愛犬はゆっくりと眠りにつきます。獣医師曰く、眠っているだけなので、私たちの声は聞こえている状態だそうです。だから、ありがとうをたくさん伝え、体を撫でました。5分-10分後に最後の薬を投与しに医師が入室し、私たちに最終意思確認をします。
投与後、数秒後に聴診器で、心音を死亡確認をします。亡くなったことを告げます。
医師は最初から優しく、愛犬にも私たちにも声をかけながら処置をしてくれました。
亡くなった後も、医師がいなくなった部屋で、亡骸とのお別れに時間を好きなだけくれます。これが最後に触れられる時だと思うとなかなか部屋をでることができませんでした。
心が引き裂かれるような。何とも言えない気持ちです。
決心してからも、逝った後も、じつは正解がわかりません。そもそも安楽死は100%の確実な気持ちで迎えることも送り出すこともできないものだと思いました。
動物は話せないし、たとえ人間のように話せたとしても、100%の確実な気持ちになるのか。。。
それぐらい複雑なことだと、思いました。だって、現実を目の前にしても、一緒にいたい気持ちの踏ん切りをつけることはかなり難しいです。
介助があれば、食事ができることが安楽死をするべきかどうか悩む大きなポイントでした。もう一つはやっぱりもっと長く一緒にいたいという想いです。
私の愛犬は身体の自由はかろうじて、トイレに立つことができるだけの生活です。多分光は感じるけど、目は見えません。目の筋肉の異常なのか目を閉じて寝ることもなくなりました。尻尾も振ることもありません。筋肉のせいか、感情のせいかわかりません。餌も水も介助が必要で、体を顔も掻くこともなめることもできません。
獣医師さんは一人のアドバイザーであって、最終決定は飼い主です。だからこそ、決断は重いです。好きなもの最後を決めるのだから当たり前ですね。
ある獣医師さんの記事の引用です:
QOLというとすぐに頭に浮かぶのが「痛みのない生活」ですがこれだけではありません。
ペットがその生活に安らぎや幸福を感じているかの判断はオーナーの仕事です。
「5つの自由(要望)」は満たされているか?一方的な溺愛に満足していないか?など改めて考えなくてはなりません。
最後に、親ばかですが、愛犬とろろは、賢くて、忠誠があり、病気一つしたことのない、とても良い子でした。ついでに見た目もかなりかわいい子でした。元気だったころ、遊んであげると、こんな風にニコニコして、見つめてきました。
トロロが0歳で、私が独身の時に出会い約19年間、ずっと私を愛してくれました。幸せをたくさんくれてありがとう。