2022年、冬 カナダに戻ってから

 カナダに帰ってしたことは学校の再申し込みのため教育委員会に行きました。

すると、前年度と同じ学校に行くのであれば学校で申し込みできるとスタッフに教えられ、学校に行き手続きしてきました☆彡

 

ところが、娘は予定どおり次週から学校に通えるようになったんですが、息子はもう一度教育委員会でフランス語のテスト受けてから、Wellcomeクラスからスタートするか、レギュラーからスタートするか決めなければならないと学校から連絡が来ました。

 

前年度のフランス語力が十分でないことから、そう判断されたようです。。。

テストの結果思った通り、Wellcomeクラスからスタートとなりました。

しかも通っていた学校のWellcomeクラスには空きがなく、初じめてのバス通学となりました。

 


通い始めの最初の週は慣れない環境で可哀そうでした。トイレに行きたくても言えないみたいな(ノД`)・゜・。

 

通いはじめて2週間目ですがフランス語を思い出して、そこそこフランス語で言えるようになってきた?

 

優しくしてくれるクラスメートもいてよかったです。

 

息子の発達について

 

帰国後すぐに小児精神科を予約しました。予約日まで2か月待ちました。先日初診の時のお話です。

 

問診票がすごく長い!!約6ページありまして、子供の発達の記録的ものから、最近の様子まであらゆる質問事項があり、たとえばいつ首座った?とかハイハイ、つたえ歩き、などなど。正直あまり覚えていませんので、なんとなく平均的だったかなって感じでネット情報と照らし合わせながら (;^ω^)

 

先生の前にカウンセラーさん?看護士さんにさらに問診をしてもらい、そしていよいよ先生と話しました。

 

息子に誕生日や学校名を聞いたり。(息子は誕生日答えられず)。

 

1時間近く、問診してもらいました。カナダの学校の先生から受診を促されてきたことを伝えました。

 

先生の初見では、強くうたがうADHDはないけどしいて言うなら、自閉症の傾向はあるかもとのこと。

 

スクリーニング検査は本人記入のため、早すぎるから親と担任からのアンケート表をいただき、再診日予約を入れて帰宅。

 

その2日後たまたま2者面談が担任の先生としたので、記入をお願いしました。

先生いわく、息子は登校がはじまってまもないので、他の子との差異があっても仕方ないという認識だったけど、そのような視点でみると、時々症状が乏しく感じるとおっしゃっていました。

 


うちの子学校では超絶シャイおなんです。家ではかわいく、やかましいモンスターキャラですけどね ()

 

今や、クラスに発達障害の子は3-4名いるとのこと。診察を受けていない子も含めたらもっといるんじゃないかと言っていました。

 

さらに、その子の特性を診断してもらうのは、学校としても対応しやすいからいい事だと言っていました。

 

日本の基準、カナダの基準。発達障害と診断するにも、基準が違うのかもしれないとも、病院の先生が言っていました。

 

正直最近では親からするとそんなに育てにくくて困ることはないのです。でも、教育現場や、社会では本人を理解するためにタイトルづけが必要な時もあるというのが現状です。

 

態度が悪いやつじゃなくて、それが脳の特性なら仕方ないって、受け入れてもらうためでもあります。

 

ちなみに学習面では、そんなに努力しているようには見えないけど(いい意味で 笑)、吸収が早いと言われました。

 

気持ちが読み取るのが難しい問題。7歳の息子がどう変わっていくでしょうか。

 

日本の小学校

 

割とすぐに娘は友達ができまして、息子は時々一緒に帰ってくるこがいるようですが、上手く行ったりいかなかったり。

 

娘は勉強以外は日本の学校のほうが好きだそう。息子は全てが日本の学校の方がいいと。

先生に恵まれたのはあります。

 

学力的には、娘にとって特に漢字で苦労し、日本人にとっては聞きなれた言葉でも理解できないことがあります。

この前の参観日でテーマにそって討論をしていました。グループディスカッションの時に荒波ってなんですか?って質問していました。

 


でも、この前初めて漢字テストで100点とったのはすばらしい。努力の賜物!

 

息子は、最初読めない平仮名の方が多かったでんですが、今はひらがなはほぼOKでカタカナも50%で思ったより早く吸収できている様子。

 

残りの2か月でまた、成長するでしょう。

慣れたころにカナダですから、特に息子に関しては離れていた分フランス語力がすぐ戻れるといいけど。

日本での生活

帰国して、約3か月がたちました。

日本帰国後は家族全員でコロナになり、空咳が約1か月半ぐらい続いて、今ようやく後遺症がゼロになった感じです (;・∀・)

 

カナダで忙しく学生してCSQとってこれから家族で遊ぶぞって時にパンデミックがはじまり、5年間楽しいこととはほぼ無縁だった鬱憤を晴らすとばかりに夏休み満喫しました。

 

温泉、プール、居酒屋、動物園、BBQ、カラオケ、、、物価も安いし、円安だし、料理はうまい、だから太る。 

 


遊んでばかりいるわけではないんすけどね。

 

子どもたちは学校、夫と私はぼちぼち働いています。

 

夫はカナダの仕事をリモートで働かせてもらい、私も日本語先生したり、半年前からカナダで始めた副業を日本でもしています。この副業が楽しい!今や、こっちが本職に近い。これについてはまたいつか書くかもです。

 

特に私の仕事はフレキシブルなので、泊まりに行ったホテルで仕事したりして、もう普通の働き方に戻れない体になりました (;´・ω・)

 

子どもたちの学校については、また別記事で

 

家族みんなコロナ陽性

 

最初に発症したのは帰国後2日目の私でした。そこから約3日38℃前後を繰り返し、最高38.8℃でした。

 


そして、主人、息子、娘。

 

私が解熱したその日に後発したのは幸いでした。でも精神的に大変でした。息子が泣きじゃくり、私も咳も出ていて、まだ休養が必要な状態での看病でしたから。

 

たぶん、飛行機のとなりの人咳してたし、うつされたかも。

 

そして、無駄にメキシコ送られたりした殺人48Hフライトのせいで免疫力は無だったろうし。

 

娘と息子登校2日目で自宅療養10日決定(ノД`)・゜・。

学級閉鎖は一日でした。

 

日本帰国はいまのところ難航続きですが、おかげさまでみんな軽症ですんでいるのが不幸中の幸いです。

なぜかメキシコ送り


日本帰国の日朝からタクシーが遅れたり、空港で1時間並んだ列がチェックインの列でじゃなくて、キャンセル待ちだったっていう小さなアクシデントやボケをかましながら、ギリギリチェックイン時間に間に合いましたが、3時間機体チェックで遅延でした。

 

そして、ギリでバンクーバー⇒成田に乗れずです。(;・∀・)

 

 

降り口付近にエアカナダスタッフが待っててくれまして、今からメキシコ経由で成田に帰りますよ、急いでGateに向かって!とチケットを渡されました。


メキシコ???

 


何もわからぬままゲート前に。

ゲートまで来ていろんな『いや、待てが』心をよぎり、モントリオールからすでに5時間のフライト更にここからメキシコまで何時間??夜中にメキシコ?そこから成田?

 

不安で、ゲートの女性に聞きました。

すると、これはあなた方が決めたことなので今から変更はできません。と

 

いやいや勝手に決めたのはエアカナダさんだよ。って教えてあげましたが、これが最善と考えたうえです。と。

バンクーバーで1泊して明日の便は?って聞いても、一体いつ次取れるかわからないですと。

 

確かにシーズンだからってのはわかるけど。。。

 

仕方なくメキシコに5時間かけ到着、夜中のメキシコシティー空港。子供たちは眠さでヘロヘロ。

 

何かフライトがある空気がないけど。。。

エアカナダ職員を見かけ経緯を話しました。

 

彼女は、なぜメキシコに???って成田行きなんてないのにと。。。

 



悪い冗談なら、そこまでにしてくれって感じですよ。

 

 

つまり、これはヒューマンエラーであることが判明。あってはいけない間違いです。

 

メキシコの職員、情けなく思うと、憤りを感じていました。

 

 

返金ありの問題案件になりそうなので、専用フォームから直接クレームをあげるように言われました。

 

メキシコから、また早朝の便でバンクーバーにもどり。そこから成田行きに乗りました。

結局丸二日飛行と乗り継ぎを繰り返してたわけです。殺人フライトです。

 

日本入国コロナ規制緩和!!

 

6月1日より日本入国規制緩和のおかげで、空港PCR免除+隔離免除になりました!!

 




ただ、カナダ出国前のPCR陰性証明は変わらず必要なので、家族4人分、約5万円😢は痛いですが、仕方がない、、、、

 

 

余談ですが、今回は半年ほどの帰国になるので、子供たちは日本の小学校に通うことになります。

 

二人とも初日本小学校。漢字が苦手な娘。1歳半からカナダにいた息子、ほぼカナダ人みたいな息子は果たして、なじめるのか。いろいろ心配はありますが、これも経験として日本の文化を知ってもらえたらと言う感じです。

 

日本人なのに日本留学みたいな?

タイミングよく規制緩和になったこと、いつもながら、ラッキーです。

父とのお別れ

 父、77歳は先日、他界しました。




胃がんステージ4が発見されてから、5か月でした。

 

父の場合、治療のための薬が肺にダメージを与え、肺炎が急激に進行してしまい、亡くなりました。

 

最後、ビデオ通話で顔を見て話すことができました。とはいえ、父はほとんど声が出せない状態でしたが、画面に向かって、カナダから送った私手作りのお守りも手に持って。

手を振ってくれてました。

 

5月初めに愛犬と、中旬に主人の祖母、そして5月末に父と、別れ、ロスのラッシュで、心に余裕がなくて。。。

 




 

もうすぐ日本へ帰国です。一人住むことになった母と数か月同居する予定です。

愛犬18歳の安楽死の日の話

3日前に、18歳と7カ月、愛犬とのお別れの日を迎えました。

 

獣医師から安楽死の話をされたのは2か月前のことでした。

それから、愛犬の生活の質について考えて考えて考えて、本当に難しい決断でした。

 

当日、家族4人で病院に入ることができ、中の小部屋に通されました。愛犬は私に抱かれて安心したようすです。

 

病院についた時点で、もう私泣いてました。獣医師さんから、安楽死の説明がありました。同意書へのサインと支払いをここで済ませます。

そして、心の準備のための時間を設けてくれます。

 

飼い主がしっかり心の準備ができるまでは、処置には移りません。

 

そして、準備ができ、最初に睡眠と麻酔薬を投与されます。投与した後にまた、医師は部屋をでて家族で最後の時間をくれます。

 




愛犬はゆっくりと眠りにつきます。獣医師曰く、眠っているだけなので、私たちの声は聞こえている状態だそうです。だから、ありがとうをたくさん伝え、体を撫でました。5分-10分後に最後の薬を投与しに医師が入室し、私たちに最終意思確認をします。

 

投与後、数秒後に聴診器で、心音を死亡確認をします。亡くなったことを告げます。

 

医師は最初から優しく、愛犬にも私たちにも声をかけながら処置をしてくれました。

 

亡くなった後も、医師がいなくなった部屋で、亡骸とのお別れに時間を好きなだけくれます。これが最後に触れられる時だと思うとなかなか部屋をでることができませんでした。

 

心が引き裂かれるような。何とも言えない気持ちです。

 

決心してからも、逝った後も、じつは正解がわかりません。そもそも安楽死は100%の確実な気持ちで迎えることも送り出すこともできないものだと思いました。

 

動物は話せないし、たとえ人間のように話せたとしても、100%の確実な気持ちになるのか。。。

 

それぐらい複雑なことだと、思いました。だって、現実を目の前にしても、一緒にいたい気持ちの踏ん切りをつけることはかなり難しいです。

 

介助があれば、食事ができることが安楽死をするべきかどうか悩む大きなポイントでした。もう一つはやっぱりもっと長く一緒にいたいという想いです。

 

私の愛犬は身体の自由はかろうじて、トイレに立つことができるだけの生活です。多分光は感じるけど、目は見えません。目の筋肉の異常なのか目を閉じて寝ることもなくなりました。尻尾も振ることもありません。筋肉のせいか、感情のせいかわかりません。餌も水も介助が必要で、体を顔も掻くこともなめることもできません。

 

獣医師さんは一人のアドバイザーであって、最終決定は飼い主です。だからこそ、決断は重いです。好きなもの最後を決めるのだから当たり前ですね。

 

ある獣医師さんの記事の引用です:

 

QOLというとすぐに頭に浮かぶのが「痛みのない生活」ですがこれだけではありません

 

ペットがその生活に安らぎや幸福を感じているかの判断はオーナーの仕事です。

5つの自由(要望)」は満たされているか?一方的な溺愛に満足していないか?など改めて考えなくてはなりません。

 

 




 最後に、親ばかですが、愛犬とろろは、賢くて、忠誠があり、病気一つしたことのない、とても良い子でした。ついでに見た目もかなりかわいい子でした。元気だったころ、遊んであげると、こんな風にニコニコして、見つめてきました。

 





トロロが0歳で、私が独身の時に出会い約19年間、ずっと私を愛してくれました。幸せをたくさんくれてありがとう。

愛犬とのお別れの最後の時

 

安楽死の3日前に愛犬からメッセージを受け取りました。

 

6種類ぐらいの形がMIXされている餌から、ハートを選んで、こんな風に壁に立てかけたんです!!

 



この時家にいたのは私と愛犬だけ。だから、誰かのいたずらでは ありません。

 

そして、安楽死の日最後の食事でも同じようにハート餌を壁においたんです。

(奇跡再び!!)

 

I love you too

 

次回は重い内容になりますが、安楽死当日についてです😢

 

娘、警察に呼び止められた話

 

昨日まで、イースター休み中の子供たち。先週金曜日から連休4日目です。

 

娘は友達と一緒に週末、公園でエッグハントに出かけました。エッグハントとは卵型のキャンディーやチョコを隠して、見つけるっていうイベントです。

 

最近は学校の友達とほぼ毎週末遊びにでかけています。お金をかからないけど、楽しめる近所の公共施設でプールや図書館のイベントなんかにいっています。10歳になって初めて一人で目的地まで行くことが増えました。とはいっても、近所徒歩圏内ですけどね。そして必ず昼間限定で出します。 

 

じつは、この前、日曜日の朝に一人で散歩に娘が朝9時ごろでかけたら、警察に『君は迷子なの?何歳』と呼び止められたんです。『10歳です。ただ散歩していました』って答えたんだけど、『1人歩きは未だ早いかもね』って言われたそうです。


小学校に親同伴なしで通っている子供もいるのに、カナダはよくわかりません。あまり朝早い時間も一人歩きが目立つのかもしれない。朝9時が早い時間かどうかは疑問ですけど。

 

日本だったら、みんな親の同伴なしで公園に遊びにいく。10歳なら当たり前なのに。しかもここの地域は安全ないいエリアで、大きな通りに面しているから悪いことに巻き込まれることもないと思っていますが、昼間1時から3時ぐらいならいいのかな? 娘はカナダ人の中だと、かなり小さいので、7、8歳ぐらいに見えたかな?

 

2022年、冬 カナダに戻ってから

  カナダに帰ってしたことは学校の再申し込みのため教育委員会に行きました。 すると、前年度と同じ学校に行くのであれば学校で申し込みできるとスタッフに教えられ、学校に行き手続きしてきました☆彡   ところが、娘は予定どおり次週から学校に通えるようになったんですが、息子は...